リストランテ チェレスティーナ 豊中市本町6丁目8-9 TEL06-6855-8617

コラム

トマトについて


イタリア料理、特に南イタリア料理に欠かすことの出来ないトマト。その歴史は以外に新しく、15世紀の大航海時代に新大陸からもたらされたと言われています。
当時のトマトは黄色の小さな実をつける観賞用植物として200年間、口にする人はありませんでした。17世紀に入り、そのトマトがイタリアの気候と土壌に適合し、優れた農業技術によって今日のようなトマトに改良されていったのです。そして18世紀の初めには、シチリアをはじめ南イタリア地方が世界最大のトマトの産地となりました。イタリアの代表的なトマトは日本のトマトと形が異なり、茄子のような形をしています。これは南イタリア、ナポリの近郊で生まれた”サン マルツァーノ種”と呼ばれる品種で主に加工用のトマトとして使われます。”サン マルツァーノ種”のトマトは果肉が厚く、酸味があり種子は少量で皮がむきやすいのが特徴で熱処理後も形がくずれにくく、風味も良く、イタリア料理素材のベースとして幅広く使われています。
ちなみにトマトに含まれているペクチンは腸を刺激し、ぜん動運動を活発にする働きがあり、便秘にも効果的です。一般に色の濃い野菜は健康に良いと言われますが、イタリアでは「トマトのある家庭に胃病なし」といわれるのも、あながち根拠のないことではなく栄養学的にみても体に良い食品といえるでしょう。

古代ローマ時代の食事


古代ローマ時代の社交の中心も、今と同じ宴会(ケーナ)であり、その料理は社会の階層性があらわれ、ぜいたくな料理から質素な料理までさまざまであった。その頃、すでにワインも飲まれていたが、現代と違ってもっと粗末な味の濃い飲み物であった為、ワインを水又は水とハチミツで割って飲むのが一般的であった。食事風景は、トゥリクリーニウムと呼ばれる臥台の上に寝そべって指で料理をつまんで食べる事で、この食べ方がもっとも安楽で威厳のある食べ方とされ、身分の低い者には許されないと考えられていた。
料理もすでに3コース以上に分かれていて、一皿目には卵料理が中心で、オリーブの実のソテー、ソーセージなどで、二皿目に今のメインにあたる魚、肉料理、三皿目がデザートでその前にリンゴを出す習慣もあった。
料理の味付けの中心になったのは、ガルムと呼ばれる魚醤で、今はベトナム料理に使われていたり、秋田県の「しょっつる」に似た魚の塩漬けを発酵させて作られた調味料で、酸味もしっかりしていたようです。
これらは最古の料理書と言われるアピキュースの料理書に残されています。彼は料理人かと思いきやローマの大富豪の一人で、富に物を言わせ贅沢三昧の生活を送り、ふと我に返った時には財産を使い尽くしてしまい、以後、それほどよい生活ができないと思い、自殺をしてしまったという。

私がイタリア滞在の時、このアピキュースの料理を手に入れたくて、古本屋を見つけては探してみたのですが店主に言わせると、中世の時代に再本されたと聞いているが、うちにはないと言われたことがありました。
その頃の庶民の食べ物はというと、鶏・豚肉を中心にくるみやナッツ類と野菜が中心で近代と変わらないカロリーを摂っていたと推測されています。ただ、牛や馬などの大型家畜は重要な役割で飼育にもお金がかかるので食用にするのはタブーとされていました。
さすが、イタリア人! もう2000年も前からそれぞれの富に合わせて食の楽しみ方を探していたのだろうなぁーと思えば、今のイタリア人の食事への貪欲さが理解できるように思えます。

中世ルネッサンス時代の食事

今の洋食文化の起源は、中世からルネッサンス期にかけてのイタリア料理文化にあるというのが定説になっています。それは、1553年にフィレンツェのカトリーヌ・ド・メディチが、のちのアンリー2世の妃としてフランスへ嫁いだとき、付き人の中に腕利きの料理人が何人かいて、その料理人を通して初めてフランス宮廷に伝わった、という説です。その時に2本に分かれたフォークも一緒に伝えられました。その時代のフランスでは、大皿盛りの料理を皆で手づかみで食べていました。同じ時代にロシアに滞在していたフランス大使が帰国した後、ロシア式の前菜・主菜・デザートと分かれた食事形式を紹介し、フランス全土に広がったといわれています。ですから今のフランスの料理のベースはイタリア、食事形式はロシア、という事になります。
その頃の食材というと現代イタリア料理に欠かせないトマト・ジャガイモ・トウモロコシなどの食材はなく、(これはいずれも16世紀に新大陸から持ち込まれたもの)当時はホウレン草・レタス・玉ねぎ・にんにく・ナッツ類・ハト・うさぎの肉などが食べられていました。
参考までにホウレン草を使った料理をアッラ・フィオレンティーナ=フィレンツェ風と今は呼ばれていますが、決してフィレンツェのあるトスカーナ州がホウレン草の産地と言う事ではありません。中世の鉄道も車もない時代に、ある植物学者がいろんな各野菜を調べるために南イタリアから北上した時、たまたまホウレン草を見つけたのがフィレンツェの地であり、その学者がホウレン草はフィレンツェの特産であると発表した事が由来となっています。
ちなみにもうひとつ、イタリアの肉屋さんへ行くと耳が付いたままのウサギがぶら下がって売られています。これはこの時代、ネコの肉をウサギと偽って売っていたため、これは100%ウサギ肉だと分かるように耳を落とさずに売る習慣が生まれました。
私はフィレンツェで、フィレンツェサバティーニ、エノテカ・ピンキョーリ、オットリーノと働いていたとき、暇があったらフィレンツェの駅で寝そべっては流れてくるアナウンスや周りの人々が話している言葉を聞き、イタリア語の勉強をしていた(つもり)のです。
一般的にイタリア語の標準語と言われるのは中部イタリアのトスカーナ州にあると聞いていたのですが、トスカーナ地方では関西と同じように言葉の最後に「ネェ」という言葉をよくつけていたのです。イタリア語の方言は日本より強いものでした。でも関西育ちの私にはかえってなじみやすく、親しみ易く安心しました。記憶の一つに、サバティーニのコック仲間と仕事終わりにバールに行き、コカコーラをトスカーナ語では「フォハァフォーラ」というのを知って、覚えたての方言を使うと周りの人がよく笑ってくれるので連発していた事もありました。
話が少しずれましたが、今も中世ルネッサンス期のおもかげを残す花の都(高い所から街を見ると屋根が赤く花が咲いているように見える所から、花の都と呼ばれる)フィレンツェは、ワインも料理もおいしい良い所です。

近代イタリア料理について

まず触れなければいけないのが、コロンブスによる新大陸の発見によって大幅に食材が増えた事であろう。
たとえばそれまでイタリアに無かったトマト、トウモロコシ、ジャガイモ、赤唐辛子、七面鳥の肉もそうである。(トマトについては、“トマトについて”で紹介しています)
それらの食材と平行して広まったのがマッケロナーロと呼ばれたマカロニ・スパゲッティー屋の開業が急増していった。 当時の食べ方はパスタを 親指・中指・薬指の3本でつまんで持ち上げて食べるのが一般的であったが、一部の貴族たちから人を招待するのに手づかみでは手もナプキンも汚れてマナーとしては・・・と声があがり、中世から貴族階級の人々で使われていた2本フォークがパスタ用に改良され、今の4本フォークになったのもこの時代である。
今はご存知の方も多いと思いますが、イタリアにおいてはスプーンとフォークでパスタを食べるのは、フォークを使いこなせない幼児の食べ方で、大人はスプーンを使いません。 イタリアでスプーンを使って食べていると、外人が日本料理店で箸の代わりにフォークで食べているようにきっと見られます。日本では食べやすい方法で食べられたら良いと、個人的には思いますが、イタリアでは音を立てながらパスタを食べるのと一緒に避けられたほうが良いと思います。
イタリアのマンガで見た事があります。一軒の店に日本人が団体で入ってきて、パスタを注文。全員一斉にズルズルー。その店の店長が一言、“誰だ!営業中に掃除機をかけたのは・・・”
では、なぜスプーンを使って食べるようになったのか・・・ パスタの発祥地であるナポリの一部にスープの中に細かくなったパスタを入れて食べる料理があり、その人々が新大陸の開拓の為アメリカに渡りアメリカで広まったのが理由です。 そしてそのアメリカ式の食べ方が日本に伝えられたのです。ですのでイタリアでは、アメリカでよく食べられるスープスパゲッティなるものは、基本的には存在しません。
料理の味付けもそれまでは香草のしっかり効いた料理が中心であったが、トマトソースが出来、ワインビネガー・オリーブオイルも広く広がり、今の料理のベースが出来上がっています。
そして1983年「アルポルト」の片岡シェフにより、新イタリア料理という言葉が出来、広まっていきます。新イタリア料理とは、(伝統的なイタリア料理+フランス料理+日本料理)÷3、言葉で表すとこうなります。
「アルポルト」のオープン当時、私も「ローマ サバティーニ」で働いていましたので、昼休みに遊びにいって厨房の中で料理の事や無駄話をさせていただいたのが、今は良い思い出になっています。 そして今よく聞く言葉がスローフーズ。その土地土地で採れる野菜魚肉を使い、その土地で消費する、ゆっくり時間をかけて食事を楽しむ、食に対する重要性や楽しみ方もイタリア人に負けない位大切にされているように思えます。

イタリア旅行2008

7月28日~8月7日まで、家族4人でイタリア旅行へ行ってきました。
今回は飛行機とホテルを予約して、電車で移動という形をとりましたので、時間にとらわれる事なくゆっくり出来たのですが、電車の切符を買うのに30分以上並んだり、初めてだった自動券売機で買うのに迷ってしまったりしました。でも、天気に恵まれ、何軒かおいしい店を見つける事も出来たので大満足の旅でした。二人の子供は、ミサンガ売りにつかまったりと少し怖い思いをしたり、道に迷って歩き疲れたりで少し疲れ気味でした。
今回、新たに見つけたお気に入りのレストランを紹介しますので、よければイタリアへ行かれる事があれば、当店に来たときにでもお問合せください。

旅行に行く前から、何人かの人に「ユーロ高くなってるよー」と聞かされていたのですが、私が勉強していた26年前と比べると約3倍、リラがユーロにかわった頃の約2倍になっていました。
別に食事・土産物とかの支払いはほとんどカードが使えましたので、カード払いをおすすめします。ただ、ホテルや電車の切符などはVISA・JCB・AMEXが使えたのですが、レストランではJCBが使えない店がほとんどでした。玄関にJCBと書いてあっても断られた事もあったので気を付けた方が良いと思います。
私は何種類か持っていっていたのでトラブルにはならなかったのですが・・・

ローマおすすめのお店

LA SAGRESTIA
ラ・サグレスティア

via del Seminario,89
TEL 06-6797-581
休み;水曜日

パンテオンの近く
この店は、地球の歩き方という本にも載っている有名な店のようです。ピザがおいしい。

フィレンツェおすすめの店

IL GRILLO PARLANTE

グリッロ パルランテ

TEL 055-475291
駅・教会より徒歩10分

オーナー:アントニオ氏、サービス:ウーゴ氏、伝統料理
特にパスタがおすすめ。

パスタのミニ知識

人類が穀類を食材として食し始めた頃から、パスタは自然発生的に生まれてきたようです。古代エジプトや古代ギリシャなど、世界のあちこちで粉を練ったものが食されていました。白米に向いた日本の米、パンに向いたフランスの小麦粉、そして小麦を育てるのに適した風土を持ったイタリア、そのパスタの歴史は古代ローマ時代の食事に紹介した”アピキウスの料理書”にすでに記されていて、小麦粉に水を加え粥状に煮込んだ「プルス」が、この時代の代表的な料理のひとつだったようです。
中世になるとパスタの料理法も発展し、スープに入れたりボイルしてソースと絡めたり、詰め物をしたラビオリなどが登場します。この詰め物パスタは中世の食事でもふれたフィレンツェの名家メディチ家の娘カトリーヌが、フランスのアンリー2世に嫁いだ時にフランスにも伝えられた為、詰め物パスタをフィレンツェ風と呼ぶ様になったという歴史もあります。アラビア人の軍隊がもたらしたとされる乾燥パスタ、パスタを押し出す圧力機の登場でパスタの需要が広まっていきました。

18世紀の産業革命が、さらにパスタ作りを簡単なものにし、それまで観賞用であったトマトが長い年月を経て真っ赤な食用としてナポリを中心に広まって、現在のようなおいしいパスタ料理が作り出されてきました。ちなみに日本人はそば・うどんを食べるとき、その喉越しや麺をすする音や香りを楽しみますが、デュラム小麦粉100%のパスタは、よく噛んでデュラム小麦粉の歯ごたえ・味を楽しみます。よく噛むことによって味を引き出します。だから、まだ熱くパスタが伸びる前に食べていただきたい・・・と作り手はそう思っているのです。

パスタのミニ知識 第二弾

カルボナーラ アラ ロマーナ
SPAGHETTI CARBONARA ALLA ROMANIA カルボナーラは、炭鉱夫という意味があります。
それは炭鉱夫が昼食を食べている時、掘り起こした炭が宙に浮き、食事をしている皿の上に落ちる。その黒い粒々をカルボナーラの最後にかける黒コショウになぞらえて、そう呼ばれるようになりました。
このカルボナーラの歴史は意外と古く、イタリアの国家統一運動があった1880年に生まれた料理なのです。それまでイタリアは小さな地方国家の集まりで、それぞれ独特の文化を持っていました。ですから今の料理を例にとっても地方色豊かな料理が伝統的に多く残されているのも頷けます。国家がひとつになる事によって、交流ができ産業革命も手伝って、各地方の料理も全国に広がって行きました。
北イタリアからは乳製品や生ハム・ベーコンなどが南の方へ伝わり、南イタリアからはスパゲッティ(ひもという意味)に代表される乾麺、羊の硬質チーズ ペコリーノなどが北の方へ伝わり、それぞれが交わったのが中部イタリアのローマ、そしてフィレンツェなのです。カルボナーラは国家統一の象徴的な料理といえます。ですからカルボナーラはローマ風とフィレンツェ風があります。
きっと皆さんの80%の人はフィレンツェ風の方になじみがあると思います。その違いは、フィレンツェ風の方が生クリームの量を多く使い、クリームパスタの様な仕上がりになります。ローマ風の方の主役は卵とチーズ。卵がパスタの熱で急に固まらない様に、生クリーム(又は牛乳)は少量入れる程度です。全く入れない作り方もあります。

食事の基本のマナー

長年、レストランで接客をしてきましたが、ここでは、イタリア料理店で、ぜひ一緒に食事をする人に不快感を与えず、気持ちよく料理を味わうための、大人のテーブルマナーの基本をご案内したいと思います。
“他人に不快感を与えない”事がマナーの基本で出発点ですが、型にとらわれすぎない事も楽しく食事をすることになります。

そのためには、

●携帯電話はマナーモードにする。
●喫煙家の人は来店する30分前には禁煙し、デザートが出てから、日本料理ではご飯類が済んだら、吸ってもかまわない事になっていますが、隣の人に吸っても良いか一言断ってからがマナーとなっていましたが、今では飲食店においてテーブルでの喫煙は周りの人に迷惑がかかるので禁煙するのか常識となっている。
●香水と口紅は控え目に。
●仮に花などを持って行く時は香りのきつい花は避ける。
●ナプキンは2つ折りのまま、ひざの上に広げます。ナプキンは、口や指やグラスを拭いてもよい。
食事が終わったら軽くたたむ。又はロケット型の紙飛行機のように先をとがらせて(三角形)テーブルの上に置く。ナプキンを使いましたと言う意味になります。ナプキンが最初のきれいな状態で置かれていると、おいしくなかったという意味になる事もあるので注意。これはあくまでもイタリアでのマナーで、国によって異なる事もあります。。
●ワインや食事の注文に困ったら、サービスの人かソムリエに遠慮なく相談する。
●口の中に物を入れて話さない。もし話しかけられてしまったら、すぐに返事をしようとしないで、とにかくかんで飲み込んでから話し始める。
●ひじをついて食べたり、足を組んで食べる ナイフやフォークをもったまま身振り手振りで話す。大きな声で話す、笑う、ゲップをする、などはマナー違反である。
●ワイングラスは足の部分を持って飲む。
●ワインを断るときは、グラスに軽く手をかざす。
●パスタをフォークとスプーンで食べるのはアメリカ式。お皿の隅を使って、うまく丸めて口に運ぶ。
●パンは一口大にちぎって食べる。
●食事中にすする音などを出さない。特にスパゲッティなどは注意する。
●口に残った骨や皮があったら少しうつむいて左手で口元を覆い隠しながら右手で取る。
●食後のカプチーノのオーダーは、イタリアでは食事の量が少なかったのかと思われる。イタリアで、家に招待されたときなどは気を付けたい。
●勘定はテーブルにてチェックしてもOK。イタリアでは必ずチェックするようにする。
●日本では、サービス料を取っている店が多いのでチップはいらない。
●イタリアでは5~10%のチップが目安。最小単位のコインを一枚置くとサービスが悪かったという意味になりますので、ご注意下さい。

イタリアでのレストランの名称

最近ではあまり厳密な区切りがなくなってきているが、このような感じに分類されます

◎TAVOLA CARDA タボーラ カルダ
立ったまま 酒、コーヒー、つまみなどを出す店

◎BAR バール
イスも用意(別料金必要)している。喫茶店、サンドイッチや軽食も出す居酒屋。

◎PIZZERIA ピッツェリア

薪を使ってピザを焼く職人がいる
ピザ専門店。ピザはフォークとナイフで食べる。

◎TRATTORIA トラットリア

気軽な雰囲気で郷土料理を楽しむ店。
◎RISTORANTE リストランテ
高級なレストラン。少しおしゃれをして、予約を入れて来店したい。

☆カーナビで電話番号検索した場合は、旧住所が案内される場合がありますので住所で検索下さる様お願いします。 TEL 06-6855-8617 ■大阪府豊中市本町6丁目8-9 定休日 毎週火・水曜日

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レストラン チェレスティーナ

TEL 06-6855-8617

カーナビで電話番号で当店を検索した場合は、旧住所(中桜塚)案内されるか、見つからない場合がありますので住所豊中市本町6-8-9)で検索下さる様お願いします。
■大阪府豊中市本町6丁目8-9
(阪急豊中駅より徒歩10分 梅花学園前バス停近く)
●営業時間
11:30~14:00(L.O.)閉店14:45
17:30-21:00(L.O.)閉店22:00

●定休日
毎週火・水曜日
※ただし、ランチタイム…大人8名様以上、ディナータイム…大人6名様以上で、ご予算をお伺いした上おまかせ料理であれば、定休日でも営業致しますので、ご相談ください。お子様のご来店もOKです。
●席数
テーブル席12席

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